横文字の店は何屋さんか分からない

 横文字の店は何屋さんか分からない。

最近(昔から?)横文字表記の店が増えた。

何屋さんか分からない。

アルファベットだけの表記なので何をする(売る)店か分からない。

パン屋さん? ブティック? 雑貨屋さん? 美容院?

 

店内の様子が外から分かればまだいいのだが、見えなければ何の店か分からない。

いや、いいんですよ。フランス語やイタリア語を使ってネーミングすることで

カッコいいと思っている自己満足なら・・・。

でもそれだと新規顧客は増えないんじゃない?

特に中年以降の年配者には分からない。 

せめて日本語の併記をしてよ!って叫びたくなる。

こう思うのは歳を取ったせい?

 

「オジンもポケモンgo!」

 

若いもんには負けられん!

そもそもゲームになんか興味ない、インベーダーゲーム以来一切やったことがない

者が、ニュースを見てどんなものか知っておいても悪くなかろう、と手持ちの

Androidタブレットに配信5日目にしてダウンロードしてみた。

自分はスマホは持たずガラケー派。スマホより大画面で見やすいタブレットを使用している2台持ち派である。

操作のトリセツなんか一切見ない。でもスタートしてやたらめっぽう動かしていたら、

しばらくして何と一匹ゲット!へえ、こうなるんだ? 

遊び方いろいろはこれから学習。

近所の公園の写真も出ている。

よしよし、これで近日中に開催される古い仲間との同窓会の席上でも話題に

事欠かない、と意を強くした次第である。

でもそれはそれとしてゲーム自体に結構ハマルかも・・・・。

そして足腰の運動を兼ねて出歩く、そういう利用をしていくのも悪くなかろう。

 

そういう意味で皆さん方も一度試されては?

一日一断捨離

一日一断捨離。そう、一日一善ではなく一日一断捨離。

捨てられない。いつか使うだろう。以前に使ったのでいつかまた使うはずだ。

そのときないと困るに違いない。

捨てるなんて「もったいない」

 

特に年配の人にこの考えが多いのだが、2年、いや1年使っていなければ

今後は使わない、と判断して良いと思う。

もちろん、なかなか手に入らない貴重なものは別だが・・・・。

 

と言う訳で先日から、一日一断捨離を始めた。

我が家は正直私のもので溢れかえっている。

捨てると気分的にサッパリする。

ないならないで困らない。どうしても必要になったらまた買えば良い。

なくて困らないのなら、必要ないのだ。

どうしても思い入れがあるものは、写真に撮っておけば良い。

「捨てるなんてもったいない」ではなく「使わないのがもったいない」のである。

今日は何か捨てるものがあったか? 捨てるものがあった。

ならば上出来である。

捨てるものは毎日何かひとつでいい。

毎日継続して捨てていけば断捨離が実現し、肩の荷もおりる。

部屋の中も頭の中も未来のための有効スペースが増えて一石二鳥である。

「自作真空管アンプの整備計画(1)」

 

遠い昔に製作した真空管アンプだが現役で使っているものがある。

 

(1)仕様概略

①プリンアンプ

弁当箱タイプのアルミ製シャーシに自分で穴を開けて加工したもの。

入力:Phono(RIAAイコライザ)、チューナー、CD、AUX

使用真空管:12AX7 4本

電源:メインアンプから直流のB電源とヒータ電源を供給

 

②メインアンプ

入力:12AT7

ドライバー:6CG7

出力:6CA7 3極管結合 実効出力17W 

  

(2)プリアンプの問題点

①プリアンプが弁当箱なので見栄えが悪い。

②入力ソース毎に出力レベルが異なる。

 ・レコード(Phono)時は音が小さい

 ・CD時は逆に大きすぎる

真空管ソケットの接触不良あり。

 

(3)改造計画

①きれいなケースに入れて再度組み立て直す。

②各入力ソース毎にオペアンプとアッテネータを組み合わせた

 レベル調整回路を入れてメインアンプへの出力レベルを揃える。

③ソケットを新品に更新する。

 

以上を計画している。

うまく行くかどうか、いつ出来上がるかは未定???

利用技術と製造技術   -使うのが得意か、作るのが得意か-

最近の人は例えばスマホやパソコンを使いこなすことは難なくできる。

ところが自分たちの世代は、慣れるのに一苦労。先ず言葉が分からない。

操作が分からない・・・等々。

それに比べ、若い人はロクに取扱説明書を読まなくてもだいたいこんな時は

このキーでこの操作をすればいいんじゃね?みたいな感じで

それでちゃんと操作が進んでいく。スイスイできる。

そう、利用技術に長けているのだ。

実に羨ましい。

 

一方、製作技術はどうか?

材料だけあって他は何もないところから物を作ることができるのか?

大学の電気科の学生でもハンダごてを持ったことがない、テスターを触ったことが

ない人間が結構いるらしい。

 

ゲルマニウムラジオの話になるが、自分たちの時代は、コンデンサとは2枚の金属板が向かい合わさったもの、と言うことで缶詰の空き缶を金切り鋏で切って、

紙で絶縁して貼り合わせて代用しようとした。

また、半導体とは導体と絶縁体の中間のものとのイメージで,錆びた釘を使って

検波しようとした。(「子供の科学」と言う雑誌に載っていた)

中学生のときこれらの部品でラジオを作ろうとした。

結果的には同調がうまく取れずできなかったが、この様に部品から揃えて物を作ると言うことは、今の学生には縁遠くなっているのではないか?

またあまり興味がないのではないか?

 

ものは工場のロボットが作ってくれる。使えさえすればいいのである。

しかし本当にそれだけでいいのか? 電子立国日本の将来は大丈夫か? 

とちょっと大げさではあるが嘆きたくなる。

利用技術と製造技術 この両者がバランスを保ちながら進歩して行くべきであろう。

幼少の頃の「設計図」のイメージ

 まだ小学校低学年の頃、父が機械設備の仕事をしていた関係で
よく図面を家に持ち帰って広げていた。
当時は今の様にコピー機はなく、いわゆる「トレーシングペーパー」に
鉛筆で線を引いて図面を描き、それに光を当てて感光させて複写する
「青焼き」が一般的だった。
小学校のプリントは「謄写版」(今では死語?)だった。
その父が図面を指して「この通りに作ると機械が出来上がるのだよ」と
言うのを聞いて、
へえー、じゃハサミでこの図面に描いてある図形を切り取って糊で貼って
組み立てれば機械ができるのだなーと本気で思っていた。
なぜなら、当時の雑誌の付録には紙で乗り物や建物を作るものが沢山あり、
模型作りが趣味だった自分には当然と思えたからだ。
  
しかし待てよ、紙を糊で貼ってそれが頑丈な鉄の機械になる訳なんて
ないよナーと思いつつも、「設計図」と言う言葉だけが頭に残り、
後に自分の進路が理系に行くきっかけとなった気がする。

この様に何てことはない言葉が、進路を左右するのだから人生なんて
分からないものである。